久しぶりに岩波新書を読みました。
給食の歴史がよくわかる。
戦前の世界大恐慌時代、学校に弁当なんてもっていけない児童がいた。
おおかたの日本中が飢えていた時代。
給食と言う人道的贈与の返礼に、日本は再軍備とアメリカの農産物の市場を許可した。
「アメリカに従属する日本」という型に給食の歴史をすべて流し込んでしまうと見捨てる問題がある。
それは、現場の主体性である。 学校栄養職員、調理員、教師たちはもちろん、文科省、厚生省の役人も、 GHQやアメリカ政府にも黙々と従ったわけではなかった。あらゆるアイデア、対価以上の仕事の工夫、 子どもに喜んでほしい気持ちがあった。
愛媛県今治市の地産地消給食の紹介があったが、今はどうなっているんだろう。 最後に給食は世界史を 歩み始めたばかりの新しい時代のプロジェクトと結んでいる。
なお、2025年10月18日京都亀岡大会で藤原辰史さんに講演をお願いしています。